神様や霊界、聖書等ついて、統一原理の立場から分かりやすく解説してます。
2010-01-21 10:18
40.キリストの目的(8)
・洗礼ヨハネの使命
ヨハネ1章19節以降を読むと、自分について尋ねられた洗礼ヨハネは、次のように答えます。
「私はキリストではない。エリヤでもない。あの預言者でもない。預言者イザヤの言った『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である。」
主の道をまっすぐにするのがエリヤの使命なので、私がエリヤだと言ってるようなものなのですが、なんか分かりにくいですね。それだけに「自分はエリヤではない」と明言したことが大きいわけです。
しかし、翌日には、イエスに対し「世の罪を取り除く神の子羊」と言っています(ヨハネ1:29)。イエスがキリストであることは、すでに霊的な導きを受けて理解はしているのですが、イエスと行動を共にしていないので、自分の使命、役割、なすべきことがよく分からないのです。
その後も洗礼ヨハネは、イエスとは別行動を取り、独自に洗礼を授けたりします(ヨハネ3:22-26)。さらには、イエスに対し「私が待つべきは、あなたですか?それとも別の人ですか?」とさえ手紙で尋ねています(マタイ11:2-3)。
では、洗礼ヨハネの役割とは、何だったのでしょうか?
それは、2つあります。預言者としての役割と修道者としての役割です。預言者としての役割とは、イエスがキリストであることを証することです。洗礼ヨハネは、最初にイエスに洗礼を授けたり、神の子羊と証したりと、預言者としての役割を行っています。
そして洗礼ヨハネは、預言者としての役割をした後は、いち修道者としてイエスに仕え、イエスと共に行動し、また時には、イエスの盾となってイエスを守り、世間の非難を一身に受け、イエスと民衆の仲立ちをする立場に立たなければなりませんでした。
そもそも全ての人類は、キリストに出会ったら、キリストと共に歩まなければなりません。ましてやキリストの道をまっすぐにするエリヤの使命を持った洗礼ヨハネであればこそ、なおさら当然のことです。
しかし、彼は、イエスをキリストと頭では理解していたにも関わらず、行動を共にはせず、自分の弟子を引き連れて、別行動を続けました。このため彼が預言者として行った数々の事柄さえも、ユダヤ人にとっては、中途半端なものに映るようになってしまったのです。
「イエスは神の子羊です。」と言いながら、全く別行動をしているヨハネを見て、ユダヤ人は、「???」となるわけです。ユダヤ人は、そんな洗礼ヨハネとイエスの関係を見て、「このイエスというのは、私たちが、待ち望んできたキリストとはどうも違うようだ」と認識していくわけです。
もし、洗礼ヨハネが、イエスの弟子となり、共に行動しつつ、「私が、エリヤです。そして、この先生が、皆さんの待ち望んだ方です。先生から一緒に学びましょう。」となっていたら、ユダヤ人は、そんな彼を見て、「じゃあ、私も」となったのです。そうすれば、ユダヤ人の中流・上流層から伝道され、スムーズに御言葉が国全体に広まることも可能でした。洗礼ヨハネこそ、本来、神が用意した一番弟子に最適な人物だったのです。
では、なぜこのような行動を洗礼ヨハネはとったのでしょうか?
つづく。次回は、キリストの目的(9):洗礼ヨハネ(3)です。また、みなさまのご意見、ご質問など、お待ちしてます。[読んだよ]押してね。続ける気になります。

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